このブログはその8日目(2019/8/14)最終日の旅日記になります。
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8日目(2019/8/14)最終日のスタート
8日目最終日は鹿児島鹿児島市のネットカフェからスタートです。無料の朝食を戴く。パン2枚と、ポテト。

ネカフェを朝6時半くらいにチェックアウトして、今日は夕方の新幹線まで鹿児島市街をサイクリング観光します。

まずは新幹線の始発駅である鹿児島中央駅へ。テントとか重い荷物は全部ロッカーに預け、身軽にしました。

雨はほとんど降っておらず、これならサイクリング観光に支障なさそうです。
まずは照國神社へ。

祭神は島津家28代当主、島津斉彬です。西郷隆盛を取り立て、薩摩藩の改革を率先した英雄の1人ですね。

街中に西郷隆盛の銅像がありました。

西郷隆盛が好んで使った言葉、「敬天愛人」。天を敬い人を愛する、ということですね。

城山公園へ。

城山公園の展望台へ向かうため、遊歩道をのんびり歩きます。

城山公園展望台へ到着~。錦江湾や鹿児島市街地を一望できます。
標高107mの山にある展望台からお写真1枚。桜島、今日も帽子かぶってる。。。

鹿児島城跡へ。改修中だそうな。

薩摩義士碑へ。
1753年、徳川幕府は薩摩藩に河川の改修工事を命じ、完成までに88名の犠牲者をだしたそうな。その供養墓塔だそうです。

西郷隆盛終焉の地へ。

銃弾を受け動けなくなった西郷隆盛が、「晋どん、晋どん、もうここでよか」と別府晋介に介錯を頼み、自決した地です。
ご冥福をお祈りしました。

鹿児島本線の電車のトンネル上に、敬天愛人の石碑があります。

西郷隆盛 南洲翁 洞窟へ。
薩軍と政府軍との城山攻防戦の最終段階において、西郷隆盛はこの洞窟で6日間を過ごし指揮をとったそうです。

私学校跡へ。
征韓論に破れ、下野して鹿児島に帰って来た西郷隆盛らが設立した私学校です。
西郷は私学校の生徒らに押され、最終的には西南戦争に突き進むことになりました。

鹿児島市街の中心にある天文館商店街。昨晩泊まったネカフェもこのあたりにあります。

市街を路面電車が走っています。長崎市街もそうでしたね。

大久保利通生い立ちの地へ。

こちらは西郷隆盛誕生地。大久保利通生い立ちの地から100mも離れていません。

鹿児島市維新ふるさと館へ。

明治維新をテーマにした博物館です。

鹿児島は西郷隆盛以外にも傑出した人物を多数輩出していますが、彼らの功績などが詳しく紹介されています。

西郷南洲翁宅地跡へ。
西郷一家が加治屋町の屋敷を売却して移り住み、明治2年に武家屋敷に移るまで十数年過ごしたところだそうな。

歴史ロード 維新ふるさとの道へ。
西郷や大久保の生地をはじめ、偉大な人物に関連がある場所がこの近辺に集まっています。

西郷屋敷跡へ。

西郷が征韓論に敗れて鹿児島に帰ってから、明治10年(1877年)に西南戦争が起こるまでの4年間を暮したところだそうな。

鹿児島市街のサイクリング観光を堪能し、新幹線の時間が近づいてきたので鹿児島中央駅へ。
重い荷物は宅配便で自宅に送っちゃったので、輪行袋に詰めた自転車と最低限の荷物を携えて新幹線に乗ります。

輪行袋に入れた自転車を、車両の最後尾のスペースに配置完了。
鹿児島中央駅から博多駅まで向かい、そこで乗り換えて新大阪駅まで向かいます。残り4連休は大阪の実家でのんびり過ごします。

前日に新幹線の指定座席を確保しておいて正解でした。
明日は台風の影響で新幹線が終日、計画運休になることもあり、当日の新幹線は早朝からすべて満席でした。
最終日は鹿児島市街を21kmほどサイクリング観光しました。

ほとんど雨の影響もなくて、よかったです。
まとめ
今回の自転車旅で、以下のルートを制覇できたことになります。日本一周も見えてました。

次回は鹿児島市から自転車旅を再開する予定です。
桜島や種子島にも行ってみたいし、宮崎県や大分県といった九州の東側を攻めていく予定です。
ちなみに今回の走行距離は以下の通り。
1日目: 58km
2日目: 90km
3日目: 61km
4日目: 89km
5日目: 81km
6日目: 75km
7日目: 86km
8日目: 21km
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合計: 561km
本当にたくさんの場所を回って、とっても楽しい旅でした!
目指せ、日本一周~!
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